「学校」-survival-展
パブリック・ディスカッション 2000/11/3


パネラー:
山本直木(美術家)
加藤種男(アサヒビール環境文化推進部)
村上タカシ(美術家/アートプランナー)
司 会:加藤淳(ゲストキュレーター)




司会: 本日はパブリック・ディスカッションにお集りいただき、りがとうございます。             
最初にパネリストを紹介させていただきます。  
私の隣が今回、学校で作品制作と発表を行った美術家の山本直木さん。
中央はアサヒビール株式会社、環境文化推進部エグゼクティブ
プロデューサーの加藤種男さんです。そして美術家としても活躍されていて、
美術教師でもある村上タカシさんです。
今日は自由な形で、意見交換ができればと思っています。

今回、作品は3つありまして、教室を使った新作「SUB-deb」と「少年A」。
もうひとつは、廊下で来訪者やこの学校の生徒が自由に参加して 
角砂糖を積み上げていくワークショップ形式の「upstairs」というタイトルの
ワーク・イン・プログレス(継続する作品)です。
皆さんの率直な感想や、印象を伺って今後の指針にしたいと思います。
加藤種男さんは21世紀の文化大臣と言うか、長期的、継続的な視点で
芸術家やモノを創る人の活動をサポートしてくださっています。
今日は、このプロジェクトについての客観的なご意見や、大所高所からの
お話を伺いたいと思います。
それから、村上さんは既にIZUMIWAKU projectという、杉並区の中学校で、
学校全体を美術館にしていくプロジェクトをなさったことがあり、
そういうことではパイオニアです。今回の試みと前回との違いや、
社会と美術の連携についても伺ってみたいと思います。
まず、山本直木さんから今回の感想を述べてもらいます。

山本: この企画は1年前に、加藤淳さんから学校で作品の『少年A』を
展示してみないかという話がありまして、ギャラリー、美術館という
閉じられた空間から飛び出してみたいということで参加しました。 
作品は今日の朝までかかりまして、密閉された画廊では考えられないのですが、
学校は窓が多いので思った以上に光が多くて、私の作品は暗くして
観せる作品なので皆さんにご協力頂きました。
土曜日、日曜日は静かなのですが、普段の学校のある時の活動的な場面で 
観ていただけたら、また、違った印象になるのではないかと思います。
作品としては納得のいく物が出来たと思います。

司会: 加藤種男さんの客観的な印象を伺います。

加藤種男: 学校に入ったのは久し振りなのですが、「教育の原点は家庭にあり」
ということで、もっと父親が足を運ばなければいけない所のようです。
現在の学校には問題点をいくつか感じています。
1つ目は「子どもが自分で表現したり考えたりできない場である」
2つ目は「正解が必ずあって、結論に達するための効率的な技術しか教えていない」
<人と違うところ>が、今の日本社会、特に学校ではまったく許されない。
それは、学校が閉鎖的な場所であるということが大きく関係していると思う。
子どもと一般の人が触れないように管理している事が学校をひどくしている。
ソフトも教育の部外者が口を挟む事を許さないしくみになっている。
「道徳を教える。国定教科書を作る」と言われているが、一つの考え方しか認め
ようとしないとしたら問題だ。自己表現の色々な手段・方法の一つとして
「美術」は将来に明るい展望を与えるものだと思う。
明治維新以後、国家・国民を作るために、全国画一的な戸籍が作られ、
その上で軍隊と学校が作られた。よい軍隊を作るための学校が整備され、
その名残が今の制服・号令にある。歴史的背景が未だにあまり変わらずに
ある。「義務教育を今やめよ」とは言わないが、教育が義務だと捉えられている
ところに問題がある。一度義務教育とは何なのか考えてみる必要がある。
表現の自由・考え方の自由を緩やかにやっていかないと、
17歳はいつも危険な状態になってしまう。犯罪が起きた時に、その子たちが
表現のたまたま一つの方法として犯罪を犯してしまう。だからこそ表現の一つ
として芸術の役割は大きいと思う。

山本さんの作品の良いところは、あれは終わったら洗い流してしまうそうですが、
作品が永遠に残らないというのは実に凄い事で、記録・作品に残すのではなく
<記憶>に残す。記録ではなく記憶なのだというのは重要な事だと思う。
人間が生きていく上で、体験と記憶はいつも支えとなる。作品が無くなる事で、
作品が記憶になっていく。特に今回は、学校という侘びしく貧弱な中に
強烈な作品があってその落差が面白かった。教育の現場に表現の体験が
持ち込まれるというのは、総合的な学習の上で有効に働くだろうし、
学校が開いていく、親ではなく学校の部外者が学校に関わっていく事で学校が
初めて生き生きしたものになるかもしれない。作品中心主義でなくなると芸術は
ワークショップが大切になると思うし、教育の現場には凄く向いていると思う。
その点では村上さんの力に掛かっているところですね。(笑)

村上: 学校で色々な問題を抱えているのは事実ですが、問題は各学校また
時代でも異なる。杉並では標準服すらない学校は、23校中9校。そういう自由な
自治体もある。地方分権・学校裁量になっていくであろうという希望も感じている。
2002年から学校も変わっていくであろうし、既に地域の協力も得ながら総合的学習も
始まっている。美術に関するものでは、美術館の方々が出張授業を行っているようだ。
今回、空き教室を使ってやったのですが、杉並では夏休み中、学校を美術館に
するという企画でした。前回は、ボランティアのお母さんや子どもたちと作品を
創っていくところからできたが、今回は赴任したばかりと言う事もあり
戦略的な部分で人間関係も含めて難しい部分があった。今回は美術部会の研修を
からめる形で組み立てた。また学校が諸機関と連携する形で進めた。
今回は山本さん自身も学校と言う設定の中で苦労されたと思うけれど、
美術部員とのワークショップも実現した。一般公開は土日と祝日だけですが、
平日は生徒を連れて授業の一環で見せるし、美術館の人や美術教師にもツアーガイド
をする予定です。

加藤種男さんから社会の仕組みに対する提案や、学校が閉鎖的になっている 
という話がありましたが、現実的には学校はとても忙しく、
学校外に目を向けられないのが現状。どんなに開かれた学校でも、
それを上手くコーディネートできる人がいない、窓口がない。
自治体でコーディネーターを1人置くという方が、何十億と美術館建設に
お金をかけるよりも文化的な事ができると思う。保存を考えると美術館は必要だが、
現代美術の作品やワークショップを考えると美術館でなくてもできる。 
空き教室は、東京の小学校で4000、中学で2000あるというが、殆どが物置き状態で、
アイディア次第で有効利用できる。アート系のNPOと組んでやった今回の試みも
前例になってくれればと思っている。

司会: 芸術系NPOの可能性は?

加藤種男: 学校で開かれた活動をしていく時、学校裁量の枠で何かやりたいと
いう時にコーディネーターがいないと言う事でしたが、本来、先生と言うのは
コーディネーターのはず。知識の伝達というのは頭の中にある知識を
教える事ではなく、世の中というものをどうやって子どもたちに伝達するか
ということが重要な役割であり、まさに先生はコーディネーターなのだと思う。
社会と子どもたちを向き合わせる事が役割だと思うのだが、
現実的には考えられていないので、さしあたって外部の人間が関わらなくてはならない。
そのときNPOがある程度の役割を果たせると思う。
NPOは今まで学校の事は考えないできたが、総合的学習の時間を
一つのきっかけとしてNPOは力を発揮し、更に芸術系NPOを増やしていく
必要がある。次に大切なのが資金になるが、芸術家の生活を保障していく資金を
公的基金や教育費を使っていく事もできるだろうし、企業も応援していく道も
考えられる。その時、学校と企業の中継としてNPOが存在する事で
展開がスムーズになることも現時点では大いに考えられる。
NPOは、もっと社会的に注目されて活躍すべきものだと考える。
何故NPOに注目しているかと言うと、世の中の事柄は最後は
政府が解決してくれるという意識があるが、早くそこから脱却して、
自分達の事は自分達で決めると言うのがNPO的考えで、
それは正に民主主義というものだと思う。それを日本は、第三者=行政に
依託してきてしまったが、全てにおいて破たんをきたしている現状で、
教育を含めて自分たちで社会・生き方を考えていこうというのがNPOの精神で、
それを育てていかなければならないと思う。
企業はなくならないかもしれないが、企業的な組織は減ると思う。
具体的なミッションを掲げた組織が対抗してくると思う。NPOセクターが
育ってくれる事を期待している。

司会: 「キチジョージ アーティスツ ギルド」の大越さんから一言。

大越: NPO自体、日本では新しい概念なんですが、以前から実行委員会形態では
色々なフェスティバルや展覧会をやってきたわけで、ノン・プロフィットの
活動の歴史が浅いということではないと思っている。
今回はNPOを掲げて行ったのには2つ理由があって、ノン・プロフィット
セクターで文化的な事をこんな形でもできるという…

司会: では、何か質問がありますでしょうか?

生徒1: 集会室に飾ってあった作品(「SUB-deb」)がとても良かったけれど、
とても切ない感じがした。

司会: 作品には、いろいろなメッセージがあるし、それをどう受け止めるかは
個人の自由ですが、いろいろな多義性をもった作品には魅力を感じます。
あれは音の出る作品でしたが…

山本: あれは「SUB-deb」という新作ですが、1ヵ月前に「クルスク」という
ロシアの潜水艦が沈没して、中にいる乗組員が助けを求め甲板をたたいている
というイメージと、社会から隔絶された空間=学校を重ねてみた。
音はガラスがきしみながら割れる音です。

司会: IZUMIWAKU の時に参加していた平山君に感想を聞きたいのですが…

平山: 潜水艦の作品が気に入りました。

山本: 6年ぐらい角砂糖の作品はやっているのですが、今回は、角砂糖の
積み方で今までにないアイディアもあって勉強になった。

学生2: 事件に切り込んでいく政治性ではなく、事件の中にある
シンパシー・愛・慈愛について作品を創っているのだなと思った。
また、それらを我々に求めているように感じた。

山本: こちらの気持ちを感じて頂けて嬉しい。

司会: 「少年A」は、97年に銀座の画廊、そして98年には板橋区立美術館で 
発表されたのですが、作品としての完成度や独自性から、  
生き残るインスタレーションだという気がしました。
そのことが今回の企画の発端になっています。
そして、作家が点した火を携えて、ある区間、自ら走る人が現れて、
リレーのようにインスタレーション作品の記憶が繋がっていくことを
期待しています。

一般1: NPOの結成の経緯を伺いたい。

大越: NPO法では10名からとなっていますが、財団によっては2名からでも
申請できる。私自身も芸術が好きで、広めたいという気持ちがきっかけです。

ボランティア1: ワークショップに興味があって、知らない人同士が楽しめて
良かった。  

一般2: 「少年A」の顔が分かる…

一般3: 潜水艦の作品は、中学生の今の側面を表しているような気がした。

一般4: 「少年A」は、顔だと思った瞬間に強いインパクトを受けた。
どのように思って作られたのでしょうか。

山本: あの作品は、その点を意図しながら作った。あの写真を拡大して
使ったのは、社会を表したかったから。砂糖1粒は人間であり、一人一人は
非力だが、集まることによって味わい・形も出てきて、さらに集まって
社会をなす。社会の歪みを、もろくて透明なガラスの上に乗っている人間を
どこまで拡大できるかと思って創った。

一般4: 今初めて山本さんから伺ったことですが、あの作品を観ると全てが
伝わってくるような素晴らしい作品でした。

山本: 作品については、全て意図してあるのであまりしゃべりたくない
のですが。

加藤種男: NPO法人が出来ていますが、芸術系はなかなか難しい。
NPO的仕組みをもったものが芸術に関しても機能していくのではないか。
法律の改定も含めて、今後に期待したい。
山本さんの作品では、日本では社会的なテーマをもった作品が少ない中、
具体的に五感に訴える作品で、日本では珍しく良いアーチィストだと思った。
作者の意図は無視して良いとは言わないが、その受け取り方が大切だし、
それを表現するというのが大事だと思う。知識があろうがなかろうが、
作品は何かを訴えるはずなので、それをお互いに持ち寄り、交換する事が
芸術に接する際のポイントだと思う。先に説明をしないで欲しい。
作品との接し方を豊かにするのが、学校に作品や作家を招く機会だと思う。
すぐ観て分かるものではないかもしれないが、色々な人の意見を聞く事で
確かめながら経験を積んでいくところが、芸術では非常に重要だと思う。

村上: テーマは重いが、避けられない、一度は良く考えておきたい問題だった。
少年Aはとてつもない才能があったかもしれないが、それを表現できる術が
なかった。
ああいう事件を起こさないような、学校の制度・社会システムの中で意識や
創造の目を育てていくきっかけになればと思っている。潜水艦の作品も、
机の上の部分が開いていて、閉ざされた空間から飛び出していく希望の
窓のようなもので、作品としては意図したものにはならなかったかもしれないが、
結果的に作品に反映して、良いものになったと思う。社会システムの中で考えると、
一人ではなかなか難しくても、ネットワークを生かし、アイディアを出し合い
ながらの展開が期待できる。政治的な側面でも、芸術文化振興の為の政策ができると
可能性が出てくると思う。

司会: 本日は長時間ありがとうございました。



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